宮森日記

まだ日が出ているうちに

ファンクラブについて(2) ブラックアウト

続き。

3.ブラックアウト

https://open.spotify.com/track/7Jmd709lD4k3Sju5Y7baUM?si=SXSJo7TiRnyxoiam_PSk8A

去年一番聴いた曲。Spotifyが年末に親切に教えてくれた。

「あなたが今年最も多く再生した曲は ASIAN KUNG-FU GENERATION  ブラックアウト です!」

僕は新しいアーティストに触れるときは普通にベストアルバムから入るので、最初に聴いたアルバムはBEST HIT AKG(無印)だった。その8番がブラックアウト、次がブルートレイン。この2曲に撃ち抜かれた。

ブラックアウトは全然派手な曲じゃない。曲調自体は淡々とした印象を与える。歌詞も抽象的で何を意味しているのかわからないところが多い。けど聴かせる。どうにも聴いてしまう。何度も何度も聴きたくなる。なぜだろう。きっと魔法だと思う。稀にそういう魔法のこもった音楽に出会う。

何度も聴きたくなるのは、たぶん、淡々と絶望を記述しているからだろうと思う。カフカ的な文体を連想する。日々の平凡な絶望を淡々と記述したいという普遍的な動機が、この淡々とした音楽を何度も聴かせるのかもしれない。

これに関連して、フランクルが「夜と霧」において、スピノザのエチカの一節を引用していたのが印象に残っているので書き記しておく。

「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」(エチカより)

 

ブラックアウトのなかで好きな箇所を二つ下記する。まずはこれ。

 

真魚板の鯉はその先を思い浮かべては眠る

光るプラズマTV 来たる未来の映像

 

どことなく不穏な、鬱屈とした色合いであるが、直接的な結論は何も言わない。あくまでも具体的なモノ、現象についての描写として、あるいは仮説として、歴史に残り得ない絶望を記述していく。なにより、言葉と意味との距離感が絶妙だ。掴みづらいことは間違いないが、その分奥行きがある。だからこそ、聴き手はこの歌詞をみて、「真魚板の鯉とは一体何を意味しているのだ?」などと考えるべきではない。ただ真魚板の鯉がその先を思い浮かべて眠る姿を想像すべきなのだ。

サビのこの歌詞には心が震える。初めて聴いたとき、こんな歌は他にないと思った。

 

今 灯火が此処で静かに消えるから

君が確かめて

 

順当に解釈するなら、これは古典落語の死神のラストシーンに近いニュアンスなのだろう。まさに「ブラックアウト」。

しかし僕は、このフレーズにこそ、ファンクラブ全体に通底するある種の身勝手な感情ーー何かを伝えたいけど伝えられなくて勝手に絶望して自棄になるような、そんな情念ーーが顕れていると考える。ほら、君がわかってくれないからだよ、だから確かめてよ、ここで静かに消えるから、というような。無論、ここには僕の個人的な解釈(というか思念の集積)が多分に含まれている。僕はだいたいいつもこんな気分なのだ。「今灯火が此処で静かに消えるから君が確かめて」な気分なのだ。本当の話。

とかく魂の内側の哀しい熱を感じさせる一曲である。

 

(続く)