宮森日記

与次郎のたわごと

最近起きたひどい出来事


・貸与パソコンの充電器のみ失くした。
・私物のパソコンの調子が非常に悪い。画面がずっと真っ暗。
・自習室のカードキーを紛失。→事務にかけ合ったら素っ気ない対応をされた。
・刑事模擬裁判のビデオ観ないといけない。四時間も。資料作成どうすればよいかわからない。
・知財がシラバスでは期末レポートって書かれていたのにいきなり試験に替えられた。
・知財期末と模擬裁最終日が被ってる。
・切れ痔。

 

・北谷で飲み会の後変なスペースに寝てたら管理人らしき者に追い出された。全然会話してくれない感じが怖かった。

・カラオケで割引するためのアプリを全員入れないといけないみたいに言われたが、充電ないし通信制限だしでアプリが入れられなくて詰んだ。結局一万円以上出した。

・酔った同期が不快だった。

・バスが一時間以上来なかった。

・自習室に行ったら急に作業員がロビーと廊下のニスを塗り始めて、「当分出られないよ」的なことを言われたので慌てて出てきた。中にハンバーガーを忘れた。

・事務に削除し忘れていた単位の削除依頼をしたら「話し合った結果削除しないこととしました」などと返信がきた。もう理由も言ってくれない。

・人の家の植木鉢をひっくり返した。

・多分そろそろ交通事故か何かで死ぬか捕まる。

・携帯電話がずっと熱い。

・後期授業がなぜか早まっている。

何もかも上手くいかないとき

何だか急速に全てが上手くいかなくなるときがある。

もちろんとてもひどい気分になる。全てを投げ出したい。

もちろん一つ一つをみれば取るに足りないものばかりである。

単なる寝不足が原因だったりもする。

 

それでもこういうときの気分は絶望的にひどい。

 

こんなときは原因をひとつひとつ列挙してみることが肝要である。まずは解決策など考えず、生活上の問題を列挙してゆく。

 

・貸与パソコンの充電器のみ失くした。

・私物のパソコンの調子が非常に悪い。画面が立ち上がってすぐは真っ暗だし、2、3分後ようやく明るくなったかと思えば、大学のwifiに繋がらない。

・自習室のカードキーを忘れた。

・刑事模擬裁判のビデオ観ないといけない。四時間も。資料作成どうすればよいかわからない。手続きも全然わからん。

・知財がシラバスでは期末レポートって書かれていたのにいきなり試験に替えられた。

・知財期末と模擬裁最終日が被ってる。

・切れ痔。

夏帆

村上春樹の晋作『夏帆』を読んだ。ほぼ一日で読み切ってしまった。

面白かった、とは思う。やはり文章のリズムが心地よい。ついついページをめくってしまう。

しかし読了直後の感想としては、釈然としない、という気持ちのほうがおおきい気がする。この話は一体何なんだろう、という感じ。

アリクイの夫婦、シロアリの女王、モーターサイクルの男……。こういった(意味不明の)モチーフが出てくるのはいつものことではある。こういった一つ一つが何を意味しているか、などとは考えてはいけない。私は絶対考えないようにしている。少なくとも、考えたほうがいい意味について、著者は文中に素直に明示してくれることのほうが多い。

本作が特に釈然としなかった理由は、例の難しいモチーフではなく、主人公夏帆の人物像がうまく掴みづらかった点にあるかもしれない。令和の26歳(だったはず)の女性は普通はスマホ中毒、SNS中毒である。美大生なら尚更そうで、「サブカル」趣味(商業化されたそれ)で生活を満たしているはずである。主人公みたいに落ちついたタイプは、令和の26歳ではあり得ないように思えてしまう。

いや、たぶん私が大人になってしまったのだろう。高校生のころはもっと村上作品の主人公たちをすんなり受け入れることができた。「こんな奴現実にいない」なんて批判は、頭の硬い大人が言っているに違いないと思った(今でもそれが当を得た批判だとは思わない)。

しかしともかく、主人公の人物像を上手く掴みきれなかったせいで、彼女が挑むべき問題を把握しかねた。とりわけその問題を現代社会の普遍的な構造のなかに位置づけることが叶わなかった。この作品は文学として一体何をしようとしているのか。わからない。少なくとも読み終えた直後の今は、まだ。

だが、とりあえず「よくわからない」という感想(?)は、しっかり持っておいたほうがいい気がする。徒に他人の批評や考察サイトなんか読んでわかった気になるよりは、そっちのほうがずっとマシだと思う。他の作品との関係なども、気になるところではあるが、きっと今は進んで解を得にいこうとしないほうがいい。

よくわからないままにしておく。ずっと後になって運良く何かがわかればいい。そのような態度がこの著者に対して最も誠実であるように思う。私はこの著者を現代日本で最も尊敬すべき一人だと考えているから、そのような態度を崩さずにいたい。

国際私法

国際私法にはかっこいい単語がいっぱい出てくる。

 

抵触法

性質決定

連結点

送致、反致

法例

 

でもって中身もなかなかかっこいい。抵触法は、この法律関係にはこの地の法を適用せよ、と指示するだけである。結論にはまだ何も言及しない。そこがクールさをもたらしている。

 

ところで、近代国家は主に2つの根拠でその制定法の効力を及ぼす。市民権(国籍)、および領土である。国際私法のタームでいえば、本国法主義と住所地法主義に対応する。

これらは要するに「血」と「土」を基盤とした世界観である。だからこそ、生のイメージのままでいくと、とんでもない排外主義を生み出しかねない。大いに加工しなければならない。サヴァニーの「法律関係アプローチ」とそれ以降の抵触法学は要するに「血」と「土」から事柄を引き剥がす作業であったといえる。どこまで飛躍させることができるか。「国際協調主義」の理念の中身は実はこれを意味しているように思う。肝要なのは、法律構成を厳密に、明快に、してゆくことである。

 

いずれにせよ、国際私法をやっていると近代法が全く不完全であるということが明確にわかる。だからこそ精密な法律構成なしにはどこにも行けないと感じる。

■

大抵の人は物語を書くことは簡単だと思っている。自分が書き始めるまでは。机の上で新品の原稿用紙若しくは白紙のワードファイルを前にしてはじめて、一体何を書けばいいのか途方に暮れる自分を発見するのである。そしてなんとか見切り発車で書き始めたとして、次に訪れるのは、目の前の意味不明な文章を見て自分が何を書いているのかが全くわからなくなる瞬間である。いずれにせよ、物語を書くことは、ただ文章を書くこととは根本的に異なる作業であると気づくのである。

しかし最近は生成AIの登場により状況が変わったかもしれない。AIがプロットを書いてくれたり、インタビュアーとしてこちらの意図を引き出してくれたりする。第一歩目の悩みはかなり解消されたかもしれない。別に良いことだとは思わないが。

ディズニーランド・リスト(後編)

残るは以下の3つである。

 

 6 アイドルオタク

 7 水商売

 8 宝くじ

 

6 アイドルオタク

最近は「オタク」という言葉が浸透し、広い意味で使用されている。そのため「オタク」という言葉をどのような意味で使っているかを厳密に識別しておかねばならない。本稿はオタクという言葉を原始的な最も狭い意味で用いる。つまりオタクとは、特定の消費用コンテンツにしか興味を示さない消極的かつ陰気な人たちをいう。きわめてネガティブな評価を表示する言葉である。

この定義は平成初期ごろの原始的なアニメオタクの類いを念頭に置いている。私は、単なるオタクのことは、いかに陰気で生産性に乏しいとしても、オタクということのみを理由に排除したりしない。彼らは基本的に無害な存在であるし、聞き手が工夫しさえすれば、興味深い話もしてくれるはずである。

しかるにアイドルオタクは全く別である。アイドルとは主に異性を客層として歌・ダンスパフォーマンスを行う若い女性又は男性を指し、未成年も多く含まれる。アイドルオタクとは、未成年者を含む若い女性又は男性の集団(最近のアイドルはもっぱら集団である。)に対し、多分に疑似恋愛の要素を含む様態で熱狂し、金銭と時間を注ぎ込む人たちである。とりわけ未成年を含む女性アイドルグループを取り巻くオタクの人々の営みは何とも風刺的である。悍ましさを通り越して最早喜劇的である。21世紀前半を象徴する社会事象(「パンとサーカス」の類い)として記憶されることだろう。アイドルグループには、なるほど、オタクの人々が日常では必ずしも話す機会の多くない積極的な性格の美しい少女が揃っている。「推し」を選ぶときの愉悦は、中世貴族が奴隷市を物色するとき感じたそれに近いものがあろう。物販を競争的に購入する様は、気に入った奴隷を落札せんとするときの熱狂と似たものがある。

このような性的サーヴィスにくわえ、アイドル産業はカルト集団の論理を用いて果実を得てゆく。「少女の夢」や「憧れ」の実現の過程を演出し神話化したものを、再び舞台に降臨させるのである。だからこそアイドルオタクたちは決まって性的要素の希薄さをアピールする。アイドルは神聖な存在である、性対象ではない、綺麗なものを見ていたいだけである、云々、見苦しい言い訳をして却って危険性を自白するのである。「一生懸命な少女たちを見て勇気づけられる」? 媚びることに勤勉というのであれば、確かにその通りかもしれない。しかし神話化は単なる性欲の何倍も危険な代物である。われわれは宗教によってどれだけの血を流してきたか。

「握手」会や「チェキ」会(?)などが主流となって久しい。これらは舞台の仕切り(幕)の内外を相互浸透させるタイプの活動である。儀礼と現実を相互浸透させるのはカルト宗教の典型的な手口である。神聖であるはずの「アイドル」の生身に触れさせる商売は、金で救済を買わせる行為に等しい。それは神に対する最も重大な冒涜である。横領の定義である。

こうした高エネルギーの贈与交換から生ずるのは強い愛憎であり、大変危険である。現に警察はこの手の愛憎から生じた加害・被害に手を焼いている。否、わが警察は冷たくあしらうだけであろう。結局こういったものの犠牲となるのは常に孤立した少女である。くわえて神話化は反社会性を聖化し治癒する効果を持つため、社会一般の常識からすれば到底許しがたいような行為が組織内部で行われ、平気で隠蔽されたりする。要するにアイドル産業の全部が強固な暴力の構造を形作っている。

このような激しい様態は、不吉なことに、アイドル産業以外にも徐々にモデルとして採用され始めている。やがてオタク一般の活動はこうしたカルト集団的論理に基づくものとなるのではないかと危惧される。いかに消費者の冷静さを失わせ、気軽にポップに狂乱と愛憎の渦に招き入れるか、という方向に経済全体が向かっている風情さえある。「オタク」というワードが広く普及した理由も、この動向と無関係ではなかろう。

 

7 水商売

水商売とは、性的な魅力を使用して接待を行い収益を得る経済活動一般の俗称である。したがって上述のアイドルに関して述べたことと大部分が重なるのであるが、違いも少なくない。水商売はもとより客と同じ部屋で接待をすることが予定されており、性的接触の要素は特に隠されていなかった。女衒の手から若い女性たちの人身を保護することが長らくわれわれの第一目標でありつづけた。ところが今、問題状況が全く変わりつつある。

この産業がカルト的熱狂を利用するようになったのはおそらくバブル以降のことだったろう。例の下品な「シャンパン・タワー」的光景である。そして近年いよいよ産業回路が壊れ始めている。周知の通りわが国は衰退の一途を辿り、サラリーマンたちはとてもキャバクラに通い詰める余裕はない。接待は会社のイメージにも深刻な悪影響を及ぼす。この状況に数年前疫病が襲った。水商売産業は致命的な打撃を受け、ほとんど虫の息であるという。

にもかかわらず、驚くべきことに近年この産業に参入する若い女性は増加傾向にあるという。この不可思議な現象の原因は、この産業に対する社会的評価がにわかに好転したというところにあると思われる。現職ナイトワーカーがランウェイを闊歩したりする。social media上で彼女たちは主人公である。彼女たちは美しく、多くの男性たちを手玉に取り、大金を勝ち取る。人生の勝者である。上の世代から蔑まれ、同世代から妬まれ、下から羨望される。

しかるに現実は正反対であり、このようなタイプの水商売上がりが増えたのは、現に水商売のみでは食べていけなくなった証しに他ならない。彼女らのターゲットが年上の男性から年下の女性にシフトしたのである。彼女らはエステサロンや整形外科と広告契約を締結し、商品を宣伝してキックバックを得る。いたいけない少女たちは広告員たちにまんまと欺かれ、美しい夜の世界に憧れエステサロンへ行き、やがて上京し性産業へ参入するであろう。そしてそのほとんどが心身を壊して帰郷し、ごく一部のみが例の広告員の座につく。こうした救いようのない回路が確立してしまったのである。犠牲となるのはやはり孤立した少女である。が、その伝統的な範型に令和的な真新しいタイプの様相が与えられたのである。

 

8 宝くじ

なぜ宝くじは他の賭博と異なり広く受け入れられているのか、理解に苦しむ。宝くじは、低価で買った券が極めて低い確率で莫大な金銭に置き換わる、というタイプの賭博、つまり最も原始的な賭博である。その点において競馬、競輪の類と選ぶところがない。にもかかわらず、競馬・競輪は薄汚れた中年男性の趣味で、宝くじのみが広く普及し受け入れられている。一体どうしてだろう、真剣に考えてみると、宝くじには「大金持ちになる夢をみる」という効果があることに気づく。金で「夢=金」を買うのである。つまり宝くじは、自分がいきなり大金持ちになるかもしれない、という視点を生活に挿入する装置なのである。このことは、「自分がお金持ちになったときに良い思いができる社会」として現実社会を見ることにつながる。

このような現実社会にポジティブな評価を与えるか、反対の評価を与えるか。宝くじを買った人は前者に傾くことであろう。したがって戦後の世において宝くじを普及させたのには特定の政策目的があったと推定されるのである。

その政策目的自体の当否をここで判断するような真似はしない。それこそ長大な近現代史の叙述・検討となってしまう。それよりも気になるのは以下の点である。いかに如上のごとき政策目的があろうと、われわれの社会は賭博一般を社会にとって有害であるとみなし、原則違法としたのであった。現に世の中の賭博に対する評価はきわめてネガティブである。スポーツ選手や芸人が賭博関連のスキャンダルを出されたりさえする。にもかかわらず、宝くじという賭博のみが何の根拠もなくこうした消極的評価を免れている、という矛盾に対し、心配を覚えるのである。何も大人がそこまで無垢である必要もないだろう。

 

8 結語

以上が私の「ディズニーランド・リスト」である。いうまでもなく、本稿は自分の趣味・嗜好を裏から自省してみるというタイプの文章に過ぎない。そのような小さな内省によって得られた気づきとしては、筆者は本当に逆張りが好きなのだということである。しかし以上のリストには一貫性があるとも思う。要するに筆者は利益相反ないしは詐欺・横領が嫌いなのである。上述したものは利益相反が目に見えやすいほんの典型例に過ぎない。21世紀初頭のこの社会は、いつの時代にも増して詐欺・横領に寛容な社会にみえる。

ディズニーランド・リスト(前編)

かれこれ二十余年も生き延びてきた。そのなかで出会った大半のものを、私は好ましく思っている。良き友人、素晴らしい文学、興味深い法学専門書、愛する恋人…。

他方どうしても好きになれないものも当然判明してくる。初めから嫌いになろうとするわけでは勿論ない。むしろ興味関心があるからこそ、それについて理解が深まったとき、好いたり嫌ったりするのである。

本稿は、私が21世紀の上四半世紀を生きてきて「きらい」であると判断するに至ったものをひとまずまとめてみようという趣旨である。正確には、「皆好きだが私は嫌うことにしている」というものである。だから例えば法務省などは除外している。法務省を好きな者など誰もいない。このような理由から、本稿の題目は「嫌いなものリスト」ではないのである。筆者が特定の理由で嫌悪している事物群について、その代表例を冠した名を与えている。

 

  1. 東京ディズニーランド
  2. 猫動画
  3. ラーメン
  4. サウナ
  5. 脱毛
  6. アイドルオタク
  7. 水商売
  8. 宝くじ

 

嫌いなものは何?と聞かれて、「自己紹介で〇〇って言う奴」みたいな一捻りをくわえるのが「センス」だとされる昨今、ここまではっきり大きな敵を名指す人は少ないように思う。私の目からすれば皆みみっちく自分より弱そうな敵を探しているだけである。そのような行為は恥ずべきことである。私は、自分が恥ずべき人間になることを最も恐れる。だから私ははっきり真正面からこれらを敵に回そうと思う。私は勇敢だからではなく、臆病だからそうするのである。

 

1 東京ディズニーランド

まず表題のものからゆこう。

私は世の人々が例のテーマパークに虫けらのごとく集合し蠢く様をみて嫌悪と恐怖を覚える。尊敬すべき友人もがこれを称揚するのを聞き、耳を塞ぎたくなる。果たして一体これのどこがよいのか。行列を散々並ばされた先にあるのは実にちんけな子供騙しのからくり人形、ないしは目に痛いだけのけちな映像である。テーマパーク全体が屋外であるから雨でも降った日にはお終いである。現に私が行った日は雨であることが多かった。付き合いで行くたびに、私が余りにも消極的なせいで、友人との関係に亀裂が入った。つまりあそこは友情を台無しにしたいときに行くべき場所なのである。

いずれにせよ、「嗚呼損をした。」というのがあそこを出てきたときに持つべき真っ当な感想のはずである。あのような巨大施設が幾年も維持されつづけていることは意味不明である。

ところで、私が必ずしもディズニー映画を嫌っているとは思わないでほしい。むしろ好きな映画は沢山ある。それでも、否、だからこそ私はあのテーマパークが嫌いである。映画作品のキャラクターに対する私の自然な情愛を巻き網漁に利用してくる。おちおち好きなキャラも作れない。製作者たちも、映画を餌のつもりで作っているわけではなかろう。つまりあのテーマパークは自らの作品に泥を塗る行為である。

当然全く同様の理由からUSJも嫌いである。

 

2 猫動画

猫は可愛い。それは認めよう。しかるに猫動画は猫である以前に動画である。本物ではなく記号である。記号は実体ではない、という基本を忘れるとどうなるか。端的に詐欺に遭う。猫動画は詐欺である。猫の可愛さによって利益を受けるべきなのは本来その猫自身、あるいはその飼い主でなければならないはずである。にもかかわらず、猫動画によって利益を受けるのはTikTok, YouTube, instagram を運営する企業である。猫の飼い主ですらない。仮に飼い主のアカウントに収益がついても、そんなの高が知れているし、そのような恣意的なキックバック自体がそこに詐欺の構造が存することを証明している。

さて現代社会で最も大きな問題はsocial mediaであるから、ここには最大級の利益相反が存在する。猫に対するわれわれのポジティブな感情をsocial mediaが果実として収受する。反対給付は言語空間それ自体である。われわれのパラダイムは全て彼らがバラ売りする商品と化した。おかげで政治システムは破綻に追い込まれた。

いずれにせよ、私は愚直な法学の徒であるから、利益相反を最も警戒する。詐欺、横領の温床となるためである。

「猫は可愛い」というテーゼをどこまでも拡張して適用してゆくsocial media全般の姿勢に対して、私は大きな不安を抱く。実物の猫は、可愛いところもあれば、体臭や糞尿等残念なところもある。醜かったり、気味悪い個体だっているだろう。生き物だから当然である。そのようなバリエーションを受け入れるのでもなく、「かわいい猫」が出てくれば全て解決、というある種の潔癖な雰囲気がsocial media 全体を覆っている。それは大麻に手を出した者や一度でも炎上した者を何がなんでも排除しようとする姿勢の裏返しである。反射のみで善し悪しを判断し、熟慮の余地はない、というタイプの言語空間である。

猫は、このような恣意に満ちた人間社会からは一線を画したところに位置しなければならない。彼らはひっそりと、超然と、生きていなければならないものである。あなたが猫を好きなのであれば猶更猫動画など見てはいけない。

 

3 ラーメン

ラーメンが不味いと思ったことは一度たりともない。幸い私が食べてきたのはすごく美味いラーメンか、そこそこのラーメンのみである。では何故私がラーメンを「きらい」だと判断したか。

第一に、ラーメンは一般に栄養に偏りがある。炭水化物、脂質、塩分が多く、それ以外が少ない。「否」と言う声が今にも聞こえてきそうである。彼らはニンニク臭い唾を散らして沢山例外を挙げてくるだろう。「ジロウケイ‼︎ ヤサイマシマシ‼︎」しかし私は今例外の話をしているのではない。それらが例外であること自体が、私の一般論を正当化する。

第二に、であるからこそラーメンというのは長らく「路地裏の屋台でひっそりと食べるメニュー」であり続けてきた。背徳感と孤独。したがってラーメンは煙草と同じ類いである。迫害対象でなければならない。でないと美味しくないはずである。にもかかわらず一方の煙草は日々社会の隅へ追いやられ、他方ラーメンは表通りを闊歩する。この差は一体どんな理由によるのか。副流煙の有無? であれば喫煙所さえ減らされてゆく現状はむしろ反対方向であろう。とにかく、このような差別取扱いをすべき合理的な根拠を未だ聞かない。

要するに何の理由もなくラーメンのみが特権を享受している現状が気持ち悪いのである。ただ食うだけのくせに一丁前に玄人ぶって悦に浸る学部2年生は見るに耐えない。ラーメンが再び日の目を浴びなくなる日が来れば、私はこのリストからこの項を削除し、路地裏の屋台へ赴くことにする。

 

4 サウナ

ラーメンとだいたい似た理由でサウナも嫌いである。サウナが「健康に良い」とされているのが本当に意味がわからない。血行を良くする? 汗をいっぱいかける? サウナ以外にいくらでも健康的なやり方がある。そこが雪国で、冬であれば、温室も良いだろう。しかしわが国はもともと温暖である。私の目からすれば、サウナに行く連中は皆「ととのう」などという専門用語を使って悦に浸っているだけである。とても恥ずかしい人々である。あんなところに金を払って時間を費やすのは正気とは言い難い。

ところで、サウナに行きがちな大学生が往々にして「寝てない」自慢をしてくるのはどうしてだろう。

 

5 脱毛

本稿の基準からすればやや異なるタイプかもしれないが、やはりこれを除かないわけにはいかない。2026年現在、人類は首から下の体毛を有害とみなし、葬り去ることを決意したようである。体毛には体温調節機能や免疫機能があるとされるが、これらの弁解は全く容れられる余地がない。体毛は、主人を守るため生えてきた矢先、如何なる弁明の機会もないまま根絶やしにされるのである。

脱毛は、大金と時間と痛みと喪失を伴う。それでも皆、自己の細胞の一部を殺してくださいと懇願しにくるのである。「自由意思」に基づく「自己決定」であるとされる。

しかるに、「美しくなりたい」という欲望は、嫉妬や支配欲と並んで、古くから警戒されてきた。際限がないからである。人を狂わせる作用がある。すると脱毛や整形が全てを牛耳ってしまった現代社会は、いわば「白雪姫社会」である。皆、自分が白雪姫のつもりでいて、本当は継母の側に属しているのである。

(後編へ)