かれこれ二十余年も生き延びてきた。そのなかで出会った大半のものを、私は好ましく思っている。良き友人、素晴らしい文学、興味深い法学専門書、愛する恋人…。
他方どうしても好きになれないものも当然判明してくる。初めから嫌いになろうとするわけでは勿論ない。むしろ興味関心があるからこそ、それについて理解が深まったとき、好いたり嫌ったりするのである。
本稿は、私が21世紀の上四半世紀を生きてきて「きらい」であると判断するに至ったものをひとまずまとめてみようという趣旨である。正確には、「皆好きだが私は嫌うことにしている」というものである。だから例えば法務省などは除外している。法務省を好きな者など誰もいない。このような理由から、本稿の題目は「嫌いなものリスト」ではないのである。筆者が特定の理由で嫌悪している事物群について、その代表例を冠した名を与えている。
- 東京ディズニーランド
- 猫動画
- ラーメン
- サウナ
- 脱毛
- アイドルオタク
- 水商売
- 宝くじ
嫌いなものは何?と聞かれて、「自己紹介で〇〇って言う奴」みたいな一捻りをくわえるのが「センス」だとされる昨今、ここまではっきり大きな敵を名指す人は少ないように思う。私の目からすれば皆みみっちく自分より弱そうな敵を探しているだけである。そのような行為は恥ずべきことである。私は、自分が恥ずべき人間になることを最も恐れる。だから私ははっきり真正面からこれらを敵に回そうと思う。私は勇敢だからではなく、臆病だからそうするのである。
1 東京ディズニーランド
まず表題のものからゆこう。
私は世の人々が例のテーマパークに虫けらのごとく集合し蠢く様をみて嫌悪と恐怖を覚える。尊敬すべき友人もがこれを称揚するのを聞き、耳を塞ぎたくなる。果たして一体これのどこがよいのか。行列を散々並ばされた先にあるのは実にちんけな子供騙しのからくり人形、ないしは目に痛いだけのけちな映像である。テーマパーク全体が屋外であるから雨でも降った日にはお終いである。現に私が行った日は雨であることが多かった。付き合いで行くたびに、私が余りにも消極的なせいで、友人との関係に亀裂が入った。つまりあそこは友情を台無しにしたいときに行くべき場所なのである。
いずれにせよ、「嗚呼損をした。」というのがあそこを出てきたときに持つべき真っ当な感想のはずである。あのような巨大施設が幾年も維持されつづけていることは意味不明である。
ところで、私が必ずしもディズニー映画を嫌っているとは思わないでほしい。むしろ好きな映画は沢山ある。それでも、否、だからこそ私はあのテーマパークが嫌いである。映画作品のキャラクターに対する私の自然な情愛を巻き網漁に利用してくる。おちおち好きなキャラも作れない。製作者たちも、映画を餌のつもりで作っているわけではなかろう。つまりあのテーマパークは自らの作品に泥を塗る行為である。
当然全く同様の理由からUSJも嫌いである。
2 猫動画
猫は可愛い。それは認めよう。しかるに猫動画は猫である以前に動画である。本物ではなく記号である。記号は実体ではない、という基本を忘れるとどうなるか。端的に詐欺に遭う。猫動画は詐欺である。猫の可愛さによって利益を受けるべきなのは本来その猫自身、あるいはその飼い主でなければならないはずである。にもかかわらず、猫動画によって利益を受けるのはTikTok, YouTube, instagram を運営する企業である。猫の飼い主ですらない。仮に飼い主のアカウントに収益がついても、そんなの高が知れているし、そのような恣意的なキックバック自体がそこに詐欺の構造が存することを証明している。
さて現代社会で最も大きな問題はsocial mediaであるから、ここには最大級の利益相反が存在する。猫に対するわれわれのポジティブな感情をsocial mediaが果実として収受する。反対給付は言語空間それ自体である。われわれのパラダイムは全て彼らがバラ売りする商品と化した。おかげで政治システムは破綻に追い込まれた。
いずれにせよ、私は愚直な法学の徒であるから、利益相反を最も警戒する。詐欺、横領の温床となるためである。
「猫は可愛い」というテーゼをどこまでも拡張して適用してゆくsocial media全般の姿勢に対して、私は大きな不安を抱く。実物の猫は、可愛いところもあれば、体臭や糞尿等残念なところもある。醜かったり、気味悪い個体だっているだろう。生き物だから当然である。そのようなバリエーションを受け入れるのでもなく、「かわいい猫」が出てくれば全て解決、というある種の潔癖な雰囲気がsocial media 全体を覆っている。それは大麻に手を出した者や一度でも炎上した者を何がなんでも排除しようとする姿勢の裏返しである。反射のみで善し悪しを判断し、熟慮の余地はない、というタイプの言語空間である。
猫は、このような恣意に満ちた人間社会からは一線を画したところに位置しなければならない。彼らはひっそりと、超然と、生きていなければならないものである。あなたが猫を好きなのであれば猶更猫動画など見てはいけない。
3 ラーメン
ラーメンが不味いと思ったことは一度たりともない。幸い私が食べてきたのはすごく美味いラーメンか、そこそこのラーメンのみである。では何故私がラーメンを「きらい」だと判断したか。
第一に、ラーメンは一般に栄養に偏りがある。炭水化物、脂質、塩分が多く、それ以外が少ない。「否」と言う声が今にも聞こえてきそうである。彼らはニンニク臭い唾を散らして沢山例外を挙げてくるだろう。「ジロウケイ‼︎ ヤサイマシマシ‼︎」しかし私は今例外の話をしているのではない。それらが例外であること自体が、私の一般論を正当化する。
第二に、であるからこそラーメンというのは長らく「路地裏の屋台でひっそりと食べるメニュー」であり続けてきた。背徳感と孤独。したがってラーメンは煙草と同じ類いである。迫害対象でなければならない。でないと美味しくないはずである。にもかかわらず一方の煙草は日々社会の隅へ追いやられ、他方ラーメンは表通りを闊歩する。この差は一体どんな理由によるのか。副流煙の有無? であれば喫煙所さえ減らされてゆく現状はむしろ反対方向であろう。とにかく、このような差別取扱いをすべき合理的な根拠を未だ聞かない。
要するに何の理由もなくラーメンのみが特権を享受している現状が気持ち悪いのである。ただ食うだけのくせに一丁前に玄人ぶって悦に浸る学部2年生は見るに耐えない。ラーメンが再び日の目を浴びなくなる日が来れば、私はこのリストからこの項を削除し、路地裏の屋台へ赴くことにする。
4 サウナ
ラーメンとだいたい似た理由でサウナも嫌いである。サウナが「健康に良い」とされているのが本当に意味がわからない。血行を良くする? 汗をいっぱいかける? サウナ以外にいくらでも健康的なやり方がある。そこが雪国で、冬であれば、温室も良いだろう。しかしわが国はもともと温暖である。私の目からすれば、サウナに行く連中は皆「ととのう」などという専門用語を使って悦に浸っているだけである。とても恥ずかしい人々である。あんなところに金を払って時間を費やすのは正気とは言い難い。
ところで、サウナに行きがちな大学生が往々にして「寝てない」自慢をしてくるのはどうしてだろう。
5 脱毛
本稿の基準からすればやや異なるタイプかもしれないが、やはりこれを除かないわけにはいかない。2026年現在、人類は首から下の体毛を有害とみなし、葬り去ることを決意したようである。体毛には体温調節機能や免疫機能があるとされるが、これらの弁解は全く容れられる余地がない。体毛は、主人を守るため生えてきた矢先、如何なる弁明の機会もないまま根絶やしにされるのである。
脱毛は、大金と時間と痛みと喪失を伴う。それでも皆、自己の細胞の一部を殺してくださいと懇願しにくるのである。「自由意思」に基づく「自己決定」であるとされる。
しかるに、「美しくなりたい」という欲望は、嫉妬や支配欲と並んで、古くから警戒されてきた。際限がないからである。人を狂わせる作用がある。すると脱毛や整形が全てを牛耳ってしまった現代社会は、いわば「白雪姫社会」である。皆、自分が白雪姫のつもりでいて、本当は継母の側に属しているのである。
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