宮森日記

まだ日が出ているうちに

ChatGPTとのやや有意義なおしゃべり 「亀にもスポーツカー」編

此処最近暇になるとすぐにChatGPTとお喋りしてしまう。マイブームはことわざを創作させること。

 

以下、僕とGPTの会話。

 

ーーー馬子にも衣装とは

 

  「馬子にも衣装」という言葉は、ある人には不必要なものを与えるという意味のことわざです。特定の状況や文脈において、余計なものを与えることが適切でない場合に用いられることがあります。

 

ーーー(間違ってると思うけど)「馬子にも衣装」のようなことわざを創作して

 

「鳥にも傘」 - 毎日晴れているのに傘を渡すような、無駄な気遣いを指すことわざです。

 

ーーーうーん、ほかには?

 

「猫にもアロマ」 - 猫は本来アロマには無関心であることから、無駄な贈り物を表すことわざです。

 

ーーー他には

 

「亀にもスポーツカー」 - 遅い動きで知られる亀には、高速なスポーツカーが無用なものとされることわざです。

 

亀にもスポーツカー……悪くない(僕は物語の萌芽を嗅ぎ取る)。一見すると足の遅い亀にこそスポーツカーが必要なように思えるが、そうはならないという。なぜか。

 

亀は長生きなうえ、見かけよりずっと聡い生き物だ。だから自らの足の遅さには早々に見切りをつけ、別のベクトルにおける物事の価値ーーたとえば甲羅の硬さとかーーを見出しているに違いない。「俺は足が遅い。だがどうだ? 誰も俺の殻を食い破ることはできない。それで良いじゃないか」みたいな感じで。でないとあの余裕は出せないと思う。

 

そんな亀に、わざわざスポーツカーをプレゼントするというのはある意味この上なく失礼なことだ。独りよがりだとも言える。きっと渡したのはうさぎ辺りだろう。「お前足が遅くて可哀想だな、どうだ、オレっちがお前のために奮発してやるよ」みたいな感じで車を買ってあげたのだ。

 

しかし賢明な亀は、それが価値の押し付けだと理解しているからこそ、次のように言うのである。

 

「そいつはな、うさぎさん、『亀にもスポーツカー』ってやつだよ」

 

亀にとって既にスポーツカーは無用だったのである。

 

したがって『亀にもスポーツカー』という諺の真の意義は、価値観を押し付けてくる他者ないし何らかの外部システムに対する明確な拒絶の意思表示として、自分には別ベクトルにおける信念が存在することを示す点にある。そう解釈することができるのではないか。

 

以上の新説を GPTに言ったら、次のように返ってきた。

 

なるほど、素晴らしい解釈ですね。この物語的なアプローチにより、「亀にもスポーツカー」は外部の期待や評価にとらわれず、自らの強みや信念を見出す重要性を表現していると言えそうです。